カンボジアに学校を建てる?それより教育支援の方が大事なのでは?

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今日は少し、誤解を招いてしまうような内容かもしれませんが、ご了承ください。ただ、どうしても伝えたいことがあるので書きます。

カンボジアに学校を建てたい!
そんな人の話を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

確かに、「困っている人を助けたい」という理由は素晴らしいことですし、きっと現地の人には喜ばれるはずです。

でも、それって、本当に必要とされていることなの?って思っちゃいます。

短い期間でしたが、カンボジアに住んでいたぼくからすると、日本人で学校を建てたいと言っている人は少しズレているように感じてしまいます。
(目的が明確にあってカンボジアに学校を建てるのであればいいと思うのですが)

確かに、カンボジアは子どもたちが多く、学校を必要としているところもあるのかもしれませんが、ただ、あまりにも学校を建てるということを聞きすぎるので、立ち止まって考える必要があるのかなと。

別にぼくは、教育者でもないですし、全く偉そうなことを言える立場の人間ではありません。ただ、学校というハコものを作るよりも、もっと支援するべきことが他にもあるのではないかと感じているだけです。

カンボジアには、悲しい歴史があります。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ポルポト政権があった、クメール・ルージュ時代です。

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あらゆる知識人が大量に虐殺されました。知識人とされる、教授・教師・将校・僧侶・役人・外国語ができる者などが虐殺され、何百万人の人が亡くなりました。

これは1970年代後半のできごとで、それほど前のできごとではありません。

今、カンボジアという国が若いのは、ポルポト政権によって、大人世代の人たちが大量に虐殺されたことも大きく影響しているのです。

でも、そんな辛い過去を持ちながら、今のカンボジアの人たちは前を向いており、めざましい経済発展をしている最中です。

この時にこそ一番必要とされるのは、これからのカンボジアを背負って立つ子どもたちの教育ではないかと思うのです。

学校も必要なのかもしれませんが、もっと注力すべき問題は、教育する側の人が足りていないこと(ポルポト政権の影響)です。また、教育する立場にある教師への指導といった支援の方がもっと必要とされると思うのです。

だから、この観点をクリアした上で、学校を建てるのであればとても意味のあることだと思います。学校を建て、知識十分な教師を確保し、継続的に運営できるのであれば、これほどカンボジアのためになることはないでしょう。

ただカンボジアに学校を建てることが目的となって、「ボランティアをしている」、「誰かのためになっている」というのであれば、少し違うなと感じているわけです。

今日は、カンボジアに学校を建てることについて思うことを書きました(もし、不愉快に感じられる人がいたらごめんなさい)。

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